大日本帝國海軍の秘密兵器と六義園の池の鯉と

 ジャケットを探して近所のコナカへ。バーゲン品はサイズが合わないです。で、サイズが合うのはデザインが気に入らない。かなりトホホです。で、値札とか見ると、「これを買うくらいなホグウッドの全集買った方が…」とか「少しはマシなアクティブ・スピーカーが…」とか悪魔が囁きます。金銭感覚がCD本位制になってます。「うっ、23000円…10CDもするのか?」なんちって。
 ぼくが持ってる一番高価な衣類は、十数年前、結婚直前にエイヤと仕立てた、冠婚葬祭なんでも使える黒のスーツ。当時、澁澤記念館の近所に住んでいたんですが、近いとこでいいやと飛び込んだのがO洋服店。昔ながらの小さい仕立て屋さんでした。なんでもご主人は昔は澁澤家に出入りしてたそうで、澁澤敬三の書が掛けてあったりするわけです。うひゃああ、とんでもない店に入っちゃったよぉ! でも、普通の町の仕立て屋なんだよね。ご主人は70いや、80近かったのかもしれません。物腰が柔らかだけど、背筋の伸びたいかにも昔の職人さんでした。奥さんは確か澁澤家で働いておられたとも聞きました。で、こちらの予算に合わせて作ってもらったんだけど、仮縫いの時などに面白い話を色々とうかがいました。中でも傑作だったのが、戦争中の話。なんでも、戦時中は徴用されて海軍の工場で働いていたそうですが、その工場の一角では殺人光線の研究が進められていたというのですね。レーザー光線なのか電磁波なのかわかりません。ただ、兎か何かを殺すのに数時間かかってしまうような代物だったので実用化はできなかったそうです。どこまでホントなのかはわかりません。もっと色々聞けば良かったんですが、ご主人は何年か前に亡くなり、お店の跡は小さな公園になっています。
 年寄りの話は面白いですよ。そういえば以前、山手線の車中で「昔は遊んだもんだよ」みたいな江戸っ子っぽい年寄りが二人、大声で話してるんですね。どういう話かというと戦時中か終戦直後の食糧難の時代、六義園に忍び込んで、池の鯉を釣って食べちゃったという武勇伝。あんな時代にも六義園の池には鯉がいたというのも驚きでした。