日曜美術館30年展

 昼前、アキバへ。書評用のエロ漫画を購入し。
 上野に戻って、讃岐饂飩で腹ごしらえして東京藝大美術館へ。
 藝大美術館は初めて。
 都美館よりまだ先にある。
 途中に奏楽堂。
 リヒテルが演奏したとこだよね。
 建物がいい味です。
 一度はここで演奏会を聞いてみたいなーと思う。
 今日は合唱の会のようだ。開場前から年配の方々が並んでおられる。
 さて、藝大美術館に到着。
 展示は地下2階と3階に分かれていて、まずは地階からの順路となります。
 絵画の一番目は教科書等でもおなじみの高橋由一『鮭』。
 喰いかけの新巻鮭が荒縄でぶら下げてあるヤツですよ。
 印刷物で見るよりもくすんだ色合いで、予想以上に大きい。
 切り身のトコがいかにも美味そうなのだ。
 高橋画伯はきっとくいしんぼだったのだなあ。
 描く前に「ちょっとくらいいいかぁ」って切っちゃったんだと思う。
 なぜなら「美味いよ〜」という気持ちが絵からにじみ出てるからだ。
 こんなこと書いてたら展評の仕事はこないでしょうな。
 この展覧会は、内外の名品をまるで美術の教科書を眺めるように鑑賞できるというのがミソ。
 それと、あまり馴染みのない芸術家の作品に触れることができるというのがいい。
 企画でありながら、まさに「架空の美術館の常設展」の味わい。
 特に日本画はこういう機会でもないと見ないしね。
 見れば、いいなあ…と思うものの、見ねば! というモチベーションがない。
 松園の『花がたみ』は、ほとんど少女漫画のカラーページ。
 もちろん、近代日本画が直接的に少女漫画に影響を与えたというつもりはない。
 作家の中にはそういう方もいるだろうが、日本画→挿し絵→漫画という流れの中で、受け継がれた美意識というもあるのだと思う。
 このあたりは一度、少女漫画の研究家にきいてみよう。
 他に絵画で印象に残ったのは、横山操『朝富士』、岡本太郎『遭遇』、中川一政駒ヶ岳』など。
 『駒ヶ岳』には現物でしか味わえないマチエールの凄さを味わうことができる。
 『遭遇』は描いている時の腕の振りとかが見えてくる。
 申し訳ないが笑ってしまったのが熊谷守一の『日輪』。
 白い丸の周囲をびっしりとピンクのパステルで塗りつぶしてあるだけにしか見えない。
 90幾つかの時の同心円連作の一つらしいんだけど、正直言って、サインがなければ子供の塗り絵。
 なんかの冗談かと思いました。禅画のパロディとかさ。
 実際、この作品に高い評価を与えている人、深淵な世界を読み取ってらっしゃる方もおられるんだけど、それは熊谷守一の仙人みたいな飄々した佇まいとか、歳を重ねるごとに、どんどん単純化されたモチーフの構成というスタイルになっていく作風の流れとかを含む「熊谷守一」という物語が脳内にあればこそではないのか?
 予備知識なしに、それこそ熊谷画伯が描いたということも知らずに、この『日輪』を見て感動できるのかな?
 オレには無理ですよ。
 ただ、この作品は、「作品の境界はどこにあるのか? 署名→ブランド性→物語性によってその境界はどこまで拡がるのか?」ということを考えさせる「問題作」なのだ。
 これはある意味、術中にはまったということかも?