色々考える

 15日「コミケ2ちゃんねるはてなセリフと作家と著作権」に行ってきたよ。
 まとまりに欠けると思うんで書き直すかもしれんが、とりあえず書いておく。
 まず、シンポジウムのタイトルから謎。
 コミケと2ちゃんとはてなセリフを並列できるんか?
 はてなセリフに使われている素材は問題ないのか?
 ニコ動とかYouTubeとかもそうだけど、そういうのを二次創作として一括するのは乱暴極まりない話だと思うがどうか?
 鈴木謙介コミケの同人誌をすべてパロディだと捉えているように聞こえたんだが気のせいか?
 てゆーか、鈴木謙介の三つの問題提起も謎。
 メモ書きなんで不正確だけど大意として書いておくと、
1)著作権の保護期間延長とは別に保護期間内ならば派生作品は一律に規制すべきか?
2)二次創作的な新しいサービス。ファン活動と二次創作の境界線はあるのか?
3)総表現社会の到来。二次創作とクリエイターの成長育成の関係は?
 1)に関しては今現在「一律に規制」されているとは思ってないので、なんでこういうことが問題提起たりえるのか疑問。
 2)に関しては、普通に考えたって境界線がないことはわかるはず。ファン活動として二次創作をやっている作家もいれば、そうじゃない作家もいるよ。鈴木謙介はニコ動にコメントをつけることを二次創作やファン活動だと言いたいのかな? それを言い出したらカラオケに合いの手を入れて盛り上がるのも創作活動になっちまうんじゃないか?
 3)に関しては、二次創作によってクリエイターが鍛えられてるなんてのは70年代末期から起こっていることだし、今の若手漫画家の多くが同人誌出身だというのも常識。まあ、この問題提起自体はイイとしても二次創作で修行→卒業→オリジナル作家という「成長」を想定しているように聞こえてならなかった。気のせいならいいんだけど、オレは「二次創作はオリジナルを創作できない未熟な作家の練習だ」と思ったことは一度もない。まあ中には未熟故の二次創作という作家もいるだろうが、全体をそう捉えてしまうことはムチャだと思う。むしろ、完全にパラレルではないが、音楽におけるリミックスだとかサンプリングだとか、文学におけるカットアップだとかパロディだとかパスティーシュだとか、本歌取りだとか、美術における引用だとかに近い表現のスタイルとして捉えた方が近いんじゃないか?
 別に鈴木謙介にケンカを売っているわけじゃなくって、何かこう彼の提示する枠組みに違和感バリバリなんだけど、それってオレの偏見? ということなんだな。
 で、鈴木謙介伊藤剛*1に「二次創作ってどうですか?」とすげぇ抽象的に振ったのには愕然とした。てゆーか、噴きました(オレの知り合いも二人ばかり噴いてた)。伊藤剛も一瞬言葉を詰まらせておったが、そのへんはクレバーなヤツなんで、ざっと同人誌の歴史に触れて、パロディは無意識的にジャンルの壁を越えているんじゃないかとか、文脈の枠組みを超えているんじゃないか、二次創作作家の固有性というのもあるんだよとかまあ、大体そういうことをサクサクと論じる。
 続いて話を振られたのがビデオジャーナリストの神田敏晶*2。実はこの人の最近の仕事はちょこっとしか観てないんだけど、彼が書いてたメールマガジンとか読んでたし、例のセグウェイの一件での報道被害も知ってたんで気になる人ではありました。印象的だったのは、テンガロンハットじゃなくって、自分はあんまり権利を主張しないようにしているというのと、著作権って結局はオカネの問題でしょというのと、小学校限定でドラえもん著作権フリーにしちゃったらいいんじゃないかというあたり。
 続いては小学館の久保雅一キャラクター事業センター長だ。
 小学館とキャラクターといえば、オレの日記にも例の「ドラえもん同人誌」の一件で検索かけて来る人が多い。オレとしてはあの作品は素晴らしいんだけど、あそこまでやっちゃうと前にも書いたようにパスティーシュと受け取られても仕方ないレベルだと思うわけです。法的にどうかというのではなくオレの私見ですけどね。
 あんなに評判にならなければ、売れなければ、オポンチな読者が学校で使いたいとか言い出さなければ小学館としては片目をつぶって見逃していたかもしれない(あくまでも仮定)。今時、同人誌が無料の広告媒体だって認識はどこの版元だってわかってるわけだしね(でも、版元としては口が裂けてもそれは言えないし、それを同人作家が言い立てたって顰蹙を買うだけなので要注意)。
 版元は、あくまでもオリジナルと作家の権利を守るのがお仕事。
 だから、示談ですませて、読売新聞の取材に対して同人誌全体にちゃんと理解を示したという小学館の態度はオレ個人としては立派だったと思う*3
 中には作者を犯人扱いして騒いだ通信社もあったようだが、何を考えているのやら。
 かなり脱線してしまった。
 久保雅一の話だ。
 一切の二次使用を拒否している作家もいる。
 にもかかわらず敢えて二次創作をしていいのか?
 とおっしゃるわけなんですが、 
「一度世に出てしまった作品は作家個人の所有物であるだけではなく公共財という側面もある」
 と反論したい。
 また、YouTubeによるプロモーション効果を理解しているが、マイナスの現象もあって、例えば国産アニメがYouTubeにアップされることによってアメリカでのDVDの売り上げが落ちているという指摘には、
「画質や字幕を考えると、むしろP2Pの方が影響大では?」
 と反応したいし、後の飲み会で、知り合いが
「それまで低価格で販売していたのに、国内並の価格に上げたことを無視して、売り上げ減は語れないんじゃないか」
 と指摘してた。
 とはいえ版元の幹部としてギリギリのところでの発言は立場や意見の相違を越えて聴くべきところが多々ありました。誰かが泣く形での法改正も必要という言葉には、著作権者側の権利縮小も視野に入っているように思えるわけだし。
 興味深いのは久保が、多くの問題ではテクノロジーによって解決されるだろうし、現在は過渡期だと捉えている点。コピーガード的な意味でのそれなのか、課金システムなのか、それとも全く別のビジョンがあるのかはまだまだ謎。
 で、いよいよ法政大の白田秀彰准教授*4が発言。いや、まあ、なんつーか当日の最強キャラでしたわ。なにしろ白のスリーピースですよ。飲み会で気づいたけどパナマ帽に金時計だぜ。キャラ立てすぎ。
 のっけから「神田さんのおっしゃる通りオカネの問題ですよ」とぶっ放してくれました。
 白田秀彰の発言とその後のディスカッションについてはすでにいいレポが上がっているので詳細は割愛するが啖呵の切り方もカッコイイし、オレとは考え方が違うものの惚れ惚れしました。
 実際、白田のいう「小さく強く守る」、つまり著作権保護のラインをきっちり明確にして、権利を制限するかわりに厳密に守るという考えは極めて正論だと思う。
 ただ、それによって二次創作者が「ビクビクしなくなる」というのは、余計なお世話。
 オレは法律がどう縛りをかけようが、描きたいものを描きたいように描くのがクリエイターだと考えている。著作権についても猥褻についてもだ。グレーゾーンでギャンブルするのも、完全に合法の枠内でよしとするのもクリエイター個々が判断すべきことであり、他者に線を引いてもらうことじゃない。古くさい芸術至上主義的な理想論なのは自分でもわかっているが、心情としてはそうなのだ。白田と神田が「著作権ってオカネの問題でしょ」というのに対して久保が「カネの問題だけじゃないんだ」と抵抗する気持に似ているかもしれない。ただし、法律に関していえば白田の方が正解なんだろうな。
 あと、白田と鈴木のいう、二次創作からオリジナル・クリエイションに誘導するという発想はオレにはない。その理由は先に述べたように、個々の作品の出来は別として、二次創作とオリジナルの間に境界線があるとは考えていないからだ。二次創作が法的にどうかという問題を考える時に、オリジナル製作へ誘導すればいいという解もあるだろうが、オレからすれば空論に近い。そんな教育的指導を誰がどうやってやるんだろうか?
 今回のイベントは、全体的に枠組みが妙に恣意的である上に上手く機能せず、議論もあまり噛み合っていなかったのだが、その噛み合わない部分こそが、皮肉に聞こえるかもしれんが刺激的で挑発的で啓発的でした。
 さてさて、ねぼけまなここすりながら珍しくも長文を書き倒してしまいましたが、ものすごく眠いの寝る。各氏の発言については、オレの記憶とメモによるものなので、錯誤についてはご寛恕ください。事実誤認がありましたら、ご指摘いただければ直します。
 文責はあくまでもオレです。
 ああ、どんどんグダグダになっていくよ。
 白田秀彰と久保雅一は二次会で、ちょこっとご挨拶できたんですが、また機会があればこうした意見の相違を含めてお話ししたいなと思う。てゆーか突撃取材したい。

■[イベント]第3回thinkCの私的メモ

■平成十九年六月十五日白田秀彰演説記録