読んだ本/聴いたCD

  • 吉川良太郎ボーイソプラノ」(徳間書店
    • 「ペロー・ザ・キャット全仕事」と同じ近未来フランスを舞台とする一人称SF長編。サイバー色は薄く、近未来セリ・ノワールといった風情で、読ませます。ネタバレになるといけないので細かくは書きませんが、パパ・フラノ=街という構造を異分子の視点で浮き彫りにしていくという意味では、スタイルを変えた反復ないしは変奏と言えるかもしれません。日本人作家が近未来フランスを描きながら、翻訳小説のパスティーシュでもなければ、ミソ汁くさい仏文にもならないというのは見事です。類似した方法論では佐藤賢一が思い出されますが、佐藤賢一の難点は時として自らの饒舌体に溺れてしまうところです。語りすぎると言いますか、もう少し抑制したらいいのにと感じてしまう。吉川良太郎の場合は過剰になる一歩手前で抑えているように見えます。その分、上手くは感じるし、好きなんですが、セリ・ノワールの若い狼たちの狂ったような小説を読んで来たぼくとしては、もっと壊れて欲しい気もするわけです。
  • ロンドン中世アンサンブル「デュファイ/世俗音楽集『私の顔が蒼ざめているのは』」
    • 「世俗音楽全集」から名曲を選りすぐった抜粋盤。レコードを聴ける環境じゃないというのもありますが、さすがに全集を全部聴くのは体力的にアレです。また。二声、三声のロンドーで似たような曲調が多いため、正直な話、全集だとちょっと飽きる。抜粋盤だと、ちょうどいい感じ。ルネサンス初期の雰囲気を味わうには最適です。この時代の音楽が鎖国以前の日本でも演奏されていた可能性は皆無ではありません。ぼくの生まれ故郷(大阪府大東市)にも、安土桃山時代にはキリスト教の教会が建ち、聖歌が流れていたそうです。そういえば「秀吉がきいた音楽」(未聴)という盤もあり、ダンスタブル、ジョスカン・デプレ、ダウランド、バード、モンテヴィエルディ、デュファイなどの曲が収録されています。これが単に同時代の曲を集めたオムニバス企画盤というだけではなく、天正少年使節聚楽第で演奏し、秀吉がいたく気に入り三回もアンコールしたとされているジョスカン・デ・プレ「皇帝の歌(Mille Regretz/千々の悲しみ)」もちゃんと収録されています。鎖国がなければ日本の西洋音楽がどんな形で発展したのか? これは小説のネタになりそうです。
  • ボーイズ・エア・クワイア「少年のグレゴリアン」
    • グレゴリア聖歌から始まって、トラディショナル・キャロル、ヴィヴァルディ、コナー・バロウズの作曲、最後もグレゴリアンという気持ちのいいアルバム。宗教曲なのに宗教臭が抑制されているのはアレンジのせいでしょうか? ぼくは「ヒーリング」とか「癒し」という言葉はすでに陳腐化していて、使うのが恥ずかしいのですが、営業的にはまだまだ使えるフックなのでしょう。ただヘビメタでも癒される人は癒されるわけで、静かで美しい曲だから「ヒーリング」とラベルを貼って分類棚に入れてそれでよしとするならば、それは「ヒーリング」という言葉に拒否反応を示して、聴きもしない人と同じくらい愚かなことです。