いつもの日曜日

 仕事やんなきゃなんないのに、ついついダラダラと朝寝。「題名のない音楽会21」は最後の方だけ耳で聴く。ジュピターの平原綾香ですね。第九です。コブシ効いてるなあと思ったら「Joyful Joyful」。ということはゴスペルバージョン? 合唱団がオーソドックスに歌っているので、やはり浮いてます。ソロで歌った方がいいんじゃないかと余計なお世話。
 例によってフレンチ・トーストとオムレツを焼く。考えたら子供はあさってが卒業式。一貫校だから、さしたる感慨もなさげ。
 午後、文京区の本駒込図書館まで散歩。「アレルヤ、春の声」を聴きながらの散歩とは優雅この上なし。ただ、このCDプレイヤーは携帯にはイマイチ。スイッチに当たりやすいんだよね。充電池も切れかけなのでバッタ屋さんで電池を購入。図書館ではウィーン少年合唱団の「メサイア」を借りました。ソロはチェンチッチです。かなりラッキー。
 夜、NHK「芸術劇場」でゲストの森本レオの「古楽は敢えて制限の中で拙さに向かう魅力」という発言にムカッとくる。ある時代に作られた曲をその時代に作られたタイプの楽器で演奏することのどこにも制限はない。鈴木秀美も書いていたましたが、古い時代の楽器は大編成、大ホール向けではないけど、そもそも大ホールで大音響で鳴らすことを前提とした発想で古楽を語られても困る。フォルテが得意の「モダン」と、ピアノが得意の「オリジナル」という違いでしかない。森本レオのいう熟練の役者が年取って、子供のようなつたなさに戻って行く(森繁?)というのとは意味が違う。「これって拙いけどいい味出てるね」と古拙の美を尊ぶ骨董マニアはいるでしょう。しかし古楽が好き、あるいは演奏している人間が「拙いことを楽しんでいる」という発想は、少なくともぼくにはありません。あ、いかん、どんどん腹が立ってきました。いや、なんというか森本レオが「サロメ」のアイーダ・ゴメスに対して「この人、何を生き急いでいるんだろう」と言ったあたりで、「なんなんだ、この人?」と警戒信号。はあ…「生き急ぐ」ですか…。トドメに「拙い」発言。ファンの方には申し訳ないが、これまで80くらいはあった好感度が、10くらいまでに一気に急降下。