読んだ本

  • 砂川しげひさ「なんたってモーツァルト」(東京書籍)
    • 仕事の合間に気軽に読める本を…と思って借りました。いや、ほんとに気軽に読めて、アッと言う間にオシマイ。軽妙洒脱なイラストと文でスイスイ読めます。冒頭から「失速するモーツァルト」と小林秀雄の「疾走する悲しみ」にツッコミを入れる痛快さ、いいぞいいぞって感じなんですね。ただ、全体を通して読むと、砂川さん自身の屈折が微妙に影を落としています。これはあらゆるマニア、ファン、オタクについて言えることなんですが、「私が愛するものをみんなに知って欲しいけど、知って欲しくない」というアンビバレンツな感情が、砂川さんの本にも漂っています。その気持ちはわかります。確かにファッション的なミーハーファンはウザイでしょう。ぼくも自分の専門分野では似たような感情がないとはいえない。でも、そこはガマンすべきだし、長い目で見るべきだと思うのです。あと、砂川さんとぼくとで受け止め方が随分違うなと感じたのがフィガロの「もう飛ぶまいぞ」の解釈。砂川さんは「モーツァルトがなぜここまで少年をナブるのか。ぼくはこのアリアを聴いていて、モーツァルトのもうひとつの資質をみる。天才の自己中心性、排他主義、独善から傲慢。他人への思いやりの欠如などを」と書いておられるのですが、ぼくとしては「うーん、そこまで言わんでも」と感じました。口ではイジめてても、実際はそうじゃないし、最後はめでたしめでたしになるんだし。ぼくはあのアリアを聴くたびに、むしろそこに込められた「少年期への哀惜」を感じて目頭が熱くなります。人は否応なく大人になる。二度と子供時代には戻れない。そういう切ない想いというか無常観に駆られてしまうのです。別にぼくがモーツァルトを弁護する必要もないんですが、同じアリアでも受け止めかたは様々だなあと思いました。