写真の現在3
臨界をめぐる6つの試論
Photography Today 3: Resolution/Dissolution
- 出品作家:伊奈英次、小野規、浅田暢夫、北野謙、鈴木崇、向後兼一
- 会場:東京国立近代美術館 ギャラリー4(2階)
- 会期:2006年10月31日(火)〜12月24日(日)
- http://www.momat.go.jp/Honkan/PhotographyToday3/index.html
午後から妻と二人で。
記者発表会と内見会とレセプションです。
ちょいと早めに着いたので常設展を鑑賞したり、ガラス窓に面した休憩コーナーで皇居を眺めたりしているうちにアナウンスがあって会場へ移動。
招待客層は美術系写真系雑誌の関係者、文化欄の記者、評論家ばかりかと思えばそうではなく、出品作家の友人知人や作品の顧客も多いのか種々雑多な構成です。
年配のご婦人方も多く、写真作品の愛好家も層が厚いんだなと納得。
開会式は館長の挨拶から始まって、出品作家の紹介。
うかつにもこの時に実感したんですが、これってけっこうハレの場だったのかと。
内見会に移り、伊奈英次とは「こんな時でもないと会えなくなっちゃったね」と雑談。
相変わらずの名古屋弁が耳に心地よい。
彼の展示作品は建築中のシートに覆われた建物を8×10で撮った「COVER」シリーズから3点と、監視カメラをデジカメで撮った「WATCH」シリーズを6面(6都市)に配置したもの。いずれも初期の軍事通信施設を撮影した「ZONE」シリーズに直結する「見る/見られる」「隠蔽する/される」というテーマ。当然、政治的な解釈も成り立つし、視覚表現の制度ということも考えさせられます。
しかし、大判写真の持つフェティッシュなまでの細密描写はそうした政治性を超えてエロティックであり、見れば見るほど耽溺してしまう。
逆に言えばこうしたエロティシズムが無意識的に制度を補完していることをも示唆しているわけで、オレのような考える病=批評病の人にはたまらんものがあるわけです。
他の作品では北野謙の「our face」シリーズが期待通りに面白い。
舞妓さん30人、密教僧侶35人、漁師78人等々を重ね焼きした肖像なんですが、ブレやボケの加減が柔らかいコンテを使ったデッサンのような不思議な質感を生んでいます。