なんてぇこった!
■サントリー学芸賞はその歴史に大きな汚点を残した
■サントリー学芸賞is Dead! 手塚治虫=ストーリーマンガの起源が受賞
なんだか途方もなくトホホな話であります。
正直な話、サントリー学芸賞とやらがどれほどご立派な賞なのか認識しとらんかったんですが、今回の一件でそのレベルはよくわかりました。
どう考えても審査委員のみなさんの「漫画評論を評価する能力」がかなりアヤシイんだよね。
「漫画評論を評価する能力」といっても別に専門性を要求しているわけではない。
少なくとも日常的に漫画を読んでいること。
漫画評論、漫画研究に関して重要な言説は最低限押さえていること。
はっきり言ってこのレベルは漫画評論系のブロガーならばアマチュアであってもクリアしていると思います。
漫画を研究対象としている学生ならば必須事項でしょう。
ところが、選考委員である三浦雅士さんはこんなことをおっしゃるわけです。
かくしてこの半世紀、日本の文化はストーリーマンガによって益するところきわめて大であったのだが、にもかかわらずマンガ評論はまことに乏しい。あっても、安保世代、全共闘世代というような意識でマンガを論じるものばかりだった。自由民権の闘士が浮世絵を論じているようなものだ。事態は、海外に流出することによってはじめて浮世絵の価値に気づいた明治時代にどこか似ているのである。
上記は三浦さんの講評からの引用ですが、これを読んでまず
「これでは漫画批評の草分け的存在である先輩方も浮かばれまい」
と思いました。
石子順造さんも呉智英さんも村上知彦さんも高取英さんも、三浦さんにかかっては
「自由民権の闘士が浮世絵を論じているようなもの」
と一刀両断ですからね。
いやはや、無礼者のオレですら、先人には一定の敬意は払いますよ。もちろん批判すべきは批判し、評価すべきは評価します。少なくとも、こんなありえなさそうな「たとえ」を用いて茶化すようなマネはしません。
それでもまだ「浮世絵を語る自由民権の闘士」扱いされた先輩方はまだ勘定に入れてもらっているだけマシかもしれません。
なにしろ三浦さんは、最近の漫画批評の収穫については最初から「眼中にない」ようなのですから。
そして、これを功績の第三とすべきと思うのだが、手塚治虫以後については意図的に語っていないために、この方法で、松本零士、萩尾望都など、手塚治虫以後のマンガ家を論じる評論家が登場することを強く促していることである。
うわあ、大塚英志も伊藤剛もいないことになっている。大塚さんはサントリー学芸賞を受賞してんのに無視ですか。ここまで来ると、なんかこう色んな意味で背筋が寒くなってきたよ。大丈夫ですか、ホントに?
さて、賞といえばオレは今年、SOG賞の最終選考委員という得難い経験をさせてもらいましたので賞の選考の大変さというのは身をもって知っています。
SOG賞の場合は最終選考に残った作品が「どれ」と「どれ」であり、委員それぞれの意見は「これ」と「これ」であると公開されちゃうので、「委員の見識」もまた読者の査定にさらされ、比較検討されてしまうわけです。
そこで気になるのはサントリー学芸賞の選考システム。どのような課程で候補作品が選定され、授賞がなされたのか? 対抗馬は何だったのか? そのあたり、誰か知ってたら教えてください。