• 戸田学・編「六世笑福亭松鶴はなし」
    • 六代目のインタビューをはじめ、縁のある落語家などのインタビュー本。春団治文枝米朝、阪本俊夫(笑福亭松朝)、勝忠男(松竹芸能社長)は聞き手が鶴瓶で、失礼ながらインタビュアとしてどうなのかと思ったのですが、これがイイ感じです。一門筆頭である仁鶴ではなく、可愛げのある鶴瓶というのが年寄り相手には良かったのかもしれません。鶴瓶が六代目が稽古をつけてもらえなかったというのは有名な話ですが、本書を読んでいると、単なるイケズだけではなく、鶴瓶の型破りなところを殺したくなかったのではないか? 六代目もほとんど自力で噺の型を作ってきた人ですから、噺の型ではなく、芸人としての在り方の後継者として見ていたのではないかと思えてきます。ただ、本書に、弟子達の、特に仁鶴の証言が入っていないのが残念です。他に六代目と香川登志緒の対談、六代目と米朝のインタビュー(三田純市)、六代目インタビュー(越智治雄)、六代目襲名披露口上、「天王寺詣り」のテープ起こし(速記起こし?)、さらには数々の資料の数々を収録。ぼくも大阪を離れて20年以上になりますが、大阪にいたころは、三枝、仁鶴が深夜放送で人気急上昇中でした。三枝も若くて、「いらっしゃ〜い」以前ですね。噺は下手でした。仁鶴はロシア民謡が上手かった。「郵便馬車の御者だった頃」とかラジオで聴き惚れました。噺が面白かったのは米朝の弟子の小米、後の枝雀です。春団治の弟子の小春(→四代目福団治)、六代目の息子の光鶴(→五代目枝鶴)を合わせた三人襲名披露は昭和48年ですから、ぼくが大学一年生の時でした。上方落語には前座・二ツ目・真打ちの制度がない代わりに襲名披露があります。本来なら五代目枝鶴が七代目松鶴を継ぐはずだったのですが後に失踪し、廃業しました。将来を嘱望された三人の内で現役で活躍しているのは福団治のみ。その福団治にしても一時期は声が出なくなり、手話落語を始めるなどの波瀾万丈があるわけで、芸の世界というのも凄まじいものです。